PARAMUSHIR

たぶん私は、この舞台を通して受け取って欲しいと考えられたものを受け取ることができなかったタイプの人間だと思う。題材そのものに対する感激は特になかった。久しぶりにHONORをみると、自分にはゆかりのないふるさとをおもってやはりうっかり涙がこぼれた。北海道についての物語をみるのならば、5人を通して史実を知りたいわけじゃなくて、5人の中にあるふるさとを感じたかったんだよね。上手く言語化できないけど、事実を「知らされる」ことに特化していたなあと思う。戦争や災害体験の語り部の話を聞いているのに近い感覚だった。この感覚の違いは、私の中で結構大きい差なのかもしれないと思った。

それでも、とにかく5人が束の間の休息で語り合う中盤が好きすぎてね…一生あの場面の5人を見ていたい。戦争モノだからなにかと涙を誘うシーンはあるんだけど、寧ろ圧倒的に平和なそのシーンこそじんわりと涙が滲んだ。戦地の張り詰めた空気の中で繰り広げられる穏やかな時間と明るい掛け合い、優しく懐かしく物悲しいメロディーのバランスがぎゅっと切なくて、その先に静かに待ち構える絶望がより悲しく際立っていてよかった。世界に5人きり、5人ぼっちとでもいうような静けさ。チームの響きに微笑みながら、モダンタイムスのスマイルに包まれる5人の空気が、分かりやすく、「この5人だからこんなにも切なくて美しい」ことを実感させてくれた。悪童のときも散々思ったことではあるけど、どんな物語だろうが5人が揃って立っているだけで滲み出すものがあって、それをこちらが勝手に感じ取ってしまう瞬間の幸福というのは、本公演の何にも代え難い特別さに繋がるんだよね。

だから、この舞台の発端は史実の部分なのかもしれないんだけど、到達点として、人間や集団の本質的で普遍的な心情とか友情愛情に関しては、もっともっと感覚的なものに重きを置いてくれてもよかったかもしれないなと思う。北海道のため、最後の防衛ラインを守りぬいた、その社会的一面に結局収束しちゃった気がするんだよね。いや、そこを伝えたいというのが本来の出発点なのかもしれないけど、その史実をなぞっただけの5人ではもったいないと思ってしまう。50年後の描写は、4人との再会を果たす前に遺された娘・息子に会えてしまった時点で、桜庭が一瞬でも現実的に救われてしまってるのがもったいなくて…名前は特に回収されなくてもいい部分だなぁと思ったし、突然他者が何人も排他的な空間に立ち入ってくるのが腑に落ちなかった。現状をリアルに描写したかったのかもしれないけど、そのリアルさは私には要らなかった。中盤のシーンを引き継いだ、世界に取り残された1人と4人として、5人にフォーカスを当てたままラストを見せてもらえたほうが個人的には好きだっただろうな~。5人ぼっちのシーンが、紡がれるセリフひとつひとつ刹那感に満ちていて、5人だからこその史実の向こう側の奥行きも見えて印象的でとてもよかっただけに、描かれた物語から感じられるものと、森崎さんが本来伝えたかったんであろう目的のチグハグさというか、乖離を感じてしまったかもしれない。

ケルト感のあるテーマ音楽はすごく好きだった。あ、いつかの公演で、安田さんは5人で舞台に立つ当たり前こそ当たり前でないと気づかされたというようなことを言っていたけど、この物語だからこそのものなのかな?それって。私は、5人に対してはもう既に、いつまで5人の新しい物語が見られるのか、あと何回なのかという逆算の状態に入っているし、だからこそ5人が揃っている姿に毎度感動してしまう。当たり前じゃないという感覚を常に抱えている。どうか次が当たり前に訪れて、また特別な瞬間を感じることができるといいなと思う。待ち遠しい。

「俺たち、友人になれたかもしれないな!……なれなかったかもしれないな!」

物語を芯を担う二人だから相変わらず最高に対照的でよかった。重い話の中でおいずみさんが担う人間らしさ、おちゃめさのバランスがかなり好きだったな~。

らくごえいが

『ライフレート』

35分くらい?その中でも実質半分以下しか出てこないけどもうとにかく安田さんのビジュアルとキャラクターに尽きる。顔がいい、見た目がいい、話している姿がいい、静かなる狂気と世界線の狭間にいる人でない人感もめちゃくちゃいい…。現れるたびに造形への感動で鼻の奥がぞわっとする。顔天才族は余計な装飾なくシンプルで無造作なほど威力が高いし、髪型が最高選手権黒髪部門で5年連続優勝という感じ。思えば海野先生(@SPEC)みてるときもこんな気持ちだった。そして山田さんも大好きな顔面なので、好きな顔と好きな顔がまるで世界に二人しかいないみたいな終始後ろ暗く退廃的な雰囲気の中でアブノーマルな問答を繰り広げる至福のひとときに桃源郷を見た。目の保養を通り越してむしろ痛みを覚えるレベル。安田さんが背の高い男に見える身長差もたまらなく。。なんというか、とにかくふたりの顔が好きな人が得をするっていう、そういうとがったとこ、贅沢で大好き。

悪童

うう~~~んおもしろいよねぇ。ワンシチュエーションの中であまりにもすべてが伏線のための会話だから一回見るとものすごく疲れるし、本筋となんにも関係ないゆるい部分ももう少し欲しくなっちゃう、という感じはあったんだけど、とりあえず話というか、ひとつひとつのエピソードがやはり引きを持っていてうまいので見せられてしまう。そして音楽とマッピング類がいい。ソリッドで後ろ暗さがあって、退廃的なネオンの色彩も超大好き。

良い意味でナじゃなくても成り立つまとまったストーリーと展開、登場人物が本当に5人しかいないからこそ見ることができたであろう細かい役作りや演出が見やすいしおもしろいし、物語の中のキャラクターに、関係性にちゃんとときめいたな。5人という人数が同じなだけでは、中の人たちがものすごく透けて見えるわけではないってことを改めて認識できたことで、いつもの5人が、ナであることやナで積み上げたものを、意識的にも無意識的にもいかに重視してつくっていたのかということを逆説的に実感した。当て書きじゃないから当然ではあるけど、なんか全然違うんだよね?リンクしそうでしない、ちゃんと別の人なんだよね。だけど5人それぞれ、このキャラクターがいちばん合うというバランスが絶妙だったなぁ。登場人物5人の舞台に、5人が別々にキャスティングされましたみたいなそんな感じ。ひとりの役者×5だってことをものすごく見せ付けられた気がした。同じことをパーフェクトショウを見たときもすごい思ったんだよね。外の人に5人を使った舞台をかいてもらうってこういうことなんだなぁ。あくまでもとある人物を演じるひとりとして描かれる。これを本公演でやったことには大きな意味と意義を感じた。
というのも、

僕らの公演でいつも問題になるのが本作り。上がってきた脚本に、毎回かなりメスを入れてしまうんです。セリフも構成も結構ばっさり変える。僕は、それはちょっと違うなと思っていて。セリフの句読点は句読点だし、語尾は語尾。脚本を変えることは、個々のエゴが出るし、僕は役の幅を狭めるんじゃないかと思うんです。最初はちょっと違うなと思っても、何度も稽古を重ねるうちに、<ああ、こういう意味だったんだ>と言葉が自分のものになっていく。それが演じるうえでの楽しみでもある。そうやって舞台で光るのが役者じゃないかと僕自身は、思っているんです。

(『ダ・ヴィンチニュース』2015/05/15 - https://ddnavi.com/news/238610/a/

これ。私は舞台の上に立つ人はあくまでも偶像であり器だと思ってるから、この安田さんの一言一句すべてに絶大な賛同と信頼を置いてるんだよね。読んだときにものすごく腑に落ちたというか、本公演の衝突具合に対して思ってたことをぜんぶ言ってくれてる~~~って感激した。この方向性の考え方もナに存在するってことをハッキリ確信できたことにとても安堵したのだ。

そもそも私は入れ込んでいる対象の考えをあまり深く知りたくないというか、意志や思惑はどうでもよくて、完成して「これなら」と見せてくれたものに対して手放しに満足して、そのあと勝手に、私にはこう見えた!やっぱり最高だなぁ、みたいなことを延々想像してるのがいちばんテンションが上がるという偶像崇拝が行き過ぎたタイプのオタクなので、基本的に安田さんの発する言葉を全部追いかけてるわけじゃない。というかほとんど知らないに等しい。あと安田さんは良くも悪くも突然脳みそを直接殴ってくるような言動をするから意図的に知らないようにしているというのも大きい。思いもよらない場面で答えあわせが飛んできて、あ~~~~やっぱり天才と大喝采を贈りたいときもあれば、いやそこに関してはホント無理、ってときもある。そして私はそれでも大好きなのだからそれでいいと思ってる。でもこれに関してはすべて私の理想的な解釈なの。ずっとこれに近いことを言っていたと思うし、音尾さんも安田さんとかなり近いスタンスで役作りや芝居作りを捉えていて、同じダ・ヴィンチの特集内で同じく私の理想的な解釈をくれてるんだけど、前後の文脈も含めて、このときについにどこにも隙のない完璧な形で核をとらえられたように感じた。もやっとしたものが晴れて、清々しかったのだ。意識に関わる話は流動的なものだから今はまた変化しているのかもしれないけど、それは既に彼の根底にも蓄積されているのだから何も問題ない。偶像として好きな人に、抽象的な感覚をここまでキレイに言語化してもらえて、こんなに幸せなことはないと思った。

演出指示も同じで、あくまでも脚本に沿ってまず解釈として掘り下げて、それからアプローチを考えていくというような、すごく理想に近いことを最初から一貫していていちいち震えた。台詞ひとつをとって脚本を自分たちの元々の人間性や癖に寄せるんではなくて、限りなく本の中で生きる人物に近づいていくスタンス。とてつもなくしっくりくる方向性だったから、私はこの作品がすごく好きだな~。ただもちろん、同じ5人を器として物語に寄り添いながらクオリティを保つには、土台となる物語、脚本と演出の精度が重要だってことも事実なわけで。そのあたりのバランスを客観的に推し測るために、悪童は絶対必要なプロセスだったと強く思った。これを経ての2018年本公演に何を感じるのかを整理したくて、こうやって備忘録をつけている部分もあるし。う~ん。改めて、読むたびに昨日のことみたいに感動する。

「俺はほんとにキライ」「俺もお前は嫌いだ」

いや、ここでしょう…。もう、ここだよ。ここしかない。思わず謎の三段活用してしまうわ。は~すごい。いくらナじゃなくても成り立つ話といっても、ナだから出るというか、こちら側が勝手にナだからこそ、と感じ取ってしまうものもあるわけで。そしてそれを感じられることこそ本公演の幸せであって、随所にそういうものがあるから、やっぱり5人の舞台が見たいと思うんだよね。ゴも同じで、この二人だからこそ生み出せる空気が一瞬でもあればそれでもう最高だ、見たかったのはこれなんだ、と喜べてしまう。ただでさえ、外部脚本演出でもやっぱりキャラクターの表面的な性質と関係性を対照的に位置づけられ、かと思えばエア殺人みたいにやたら度が過ぎた悪乗りに二人だけが興じたり、成功と転落の振り幅が大きかったりと、根底の人間性が重なってしまうゴの配役の王道パターンが最高なのに、十分に堪能させてくれた上でダメ押しのようにこのやり取りよ…。エロッチと巻くんであり、おーいずみさんと安田さんだからこそ本来の物語以上に映える。さらにBD/DVDは他の3人のときとちがって、握手をされる側ではなく、しにいった巻くん側から抜いた画なのも、あぁやっぱ安田さんの表情に凝縮されてたよねそうだよね、みたいな…見たいものを見せてもらえた充足感がすごい。チャックとの「本当は好きだよ」からの流れといい、台詞を言う前も、言ってる間も、言った後も、絶妙な空気…ゴだよね~~~~~(昇天)。副音声がまた、それをあまりにも理解しすぎている天才二人の水面下の戦いを感じるすばらしい瞬間だった。この二人本当にわけがわからんし、出会ってしまったのが本当に、とんでもないことだったよ。あ~すごいわ。

WARRIOR

ショー系のアトラクションだよね。ビッグバンドビートとか、ウォーターワールドとか…テーマパークかい。例えばジャニワみたいな、大筋が同じで毎年要素を変えながら続いていくショー特化の舞台という概念がナに存在していたら、絶対うぉりゃをやってほしいしかなり好きになってると思う。うぉりゃ2020みたいなね、毎年うぉりゃぁ~からの侍ロマンを聞かないと年明けた気持ちにならないみたいなそういう。まぁショーではなく5人のチームがメインであること、を大前提にしているスタンダードなお芝居なのだと考えると、ややアンサンブルの比重が大きすぎる感は否めない。でもなんかわけわからんけどただただかっこいいとか永遠にロマンだけを感じるとか、視界におさまるビジュアルが鮮烈かつ聴覚にキャッチーに訴えかけてくるというのが個人的には大好きだから2時間半やたら楽しかった。あとどうしても大味な話だからひたすらビジュアルと自己解釈に集中できた。こういう観劇しかできない人間で申し訳なさすらある。でもそういうものだよね、結局自分が納得いくように受け入れることができたものがすべてだと思ってる。

とにかく光秀。の、ビジュアル。

おーいずみさんが失敗だ失敗だと嘆いていた洋一くんのパーマでさえかわいすぎて身悶えるほどパーマの男が好きだから、基本的におーいずみさんのことをビジュアル要員だと考えているくらいなんだけど、'00ぐらいまでによく見られる長くてやたらボリュームあるやつが特に大好きなんだよね。長いのが絶対絶対似合うと思ってるの。だから光秀、ゆるいパーマの長髪があまりにも最高すぎる。悲劇的な役回りも後押しして、どこからみてもどんな場面でも妙に色っぽくて永遠に美人。は~~~~本当に最高。巻き込まれ型主人公をやってる時の安田さんも大好きだから、好きな男が二人とも抗えない大きな流れに翻弄されまくって最終的に共犯になるというこの世でいちばん好きなパターンを見られて感無量。はぁ、二人が対照性と親和性をもつ役者で本当によかった。この先もナが公演をしてくれる限り、二人が同じ物語の中に存在しているのを見られることが最大の喜びであり、自分にとっての価値なんだよなぁ。

下荒井兄弟のスプリング、ハズ、カム。

贔屓というか、ナを好きな人間としてみるというフィルターを絶対に薄められない作品だから、一生よく分からない高揚感をもったまま見続けるんだろうなぁ。なにも知らない人としてこれを観たらどう思っていたのか、想像すらできない。他の作品と比べて、明確に抱く感情が変わっていただろうなという自覚がある。

苦しい中で産み出されたものが、あまりにも大泉さんの箱庭の楽しさと美しさと切なさに溢れていて、彼が愛するものをおすそわけしてもらったような、覗き見させてもらったような特別な気持ちになる。下荒井家にやってくる春を見届けるだけで5人への感情にもリンクして胸がぎゅっとしめつけられるような、そういう力を持っている。経緯がどうであれ、5人の舞台の歴史にこの作品が並んでくれて本当に良かった。

「なんで俺ばっかりこんな目にあうんだよ…何をやってもうまくいかない…」

持っていないわけじゃないのになんにもうまくいかない男剛助がいちいち情けなくてもうかわいくてかわいくて最高。翻弄されている姿があまりにもかわいい。安田さんのあくまでも普通の演技もすごく良くて、演技上手いなあとしみじみと思う。発声と発音のバランスとか、このときが一番無理がなくてすきなんだけどなぁ。色味や遊びが少なくて堅実な人生を送っているように見えるのになぜか破滅型の剛助と、引きこもりの盗聴マニアというアングラ感の強さのわりにビビッドなスタイルかつうまいこと生きている様子の健二のバランスも大好き。並んだ姿の対照さが本当に完璧だった…ゴ兄弟、最高にかわいい。

「ちがうんだよ、"ぬ"じゃなくて"どぅ"なんだよ!」

おーいずみさんの好きな人たちはみんなおーいずみさんの頭の中で独立したものとして生きていて、いつもその住人たちと理想通りに楽しく遊んでいるんだろうね。排他的ともいえる世界観がすごくノスタルジックで楽しくて時々悲しい。私はとにかくおーいずみさんが描くナの姿、そして安田さんの姿が好きなんだ…だからこの作品はもう、おーいずみさんの箱庭で生きている安田さんの姿を、剛助を通して垣間見られるという幸せへの満足感で死にそう。まあ、その箱庭で生きる安田さんをなんとおーいずみさん本人にフィーチャリングするというとんでもない爆弾、山田家の洋一くんがその部門の殿堂入りキャラクターであることは私の中で揺るがないことなんだけど。山田家や朝日荘とは違って、今回は兄弟という並列した設定があるから、ナ全員に対してそういう理想にまみれているのが良い。理想像が明確すぎるがゆえに副音声で悪びれもせず爆笑しながら「もう本物の森崎くんじゃ満足できないんだよねぇ」などと言ってのけるおーいずみさんは最強の庭師。自分の世界観に対してわりとゆるがない絶対がある人だから、一度紡いでしまうと箱庭の一部をとめどなく外に出してくれるのがたまらん。こういう脳内の箱庭第一主義の発言を聴くたびに最上級の愛と独占欲を感じるし、小さな世界で一生平和で幸せでいてほしい人だなと思う。

HONOR

泣いちゃったな~…シンプルでよかった。史実モノと比べて前提知識として説明したいものの取捨選択がしやすいからか、冗長さが削ぎ落とされていたのがよかった。あと音楽が超イイ。地味な展開で何度も見たくなる衝撃があるわけではないし、物語の比重という意味ではなく、演技による重さ深さの根本的な部分で安田さんが担っている部分が大きすぎる感が否めないんだけど、それでも見終わったあと、ああ観てよかったなぁ、と素直に感じ入ることができた。それってすごく本質的で、純粋で、大事なことだと思うんだよなあ。

COMPOSERからHONORの安田さんは、何かが変わったと明確に肌で感じることができる。私は安田さんの演技面を全面支持していることが理由でファンなわけではない(これは演劇集団としてのナそのものにも言える)んだけど、これを見ると私の彼に対する感情の中でも、あまりウェイトが大きくなかった部分が揺れに揺れまくるのだ。安田さんが振り切って作り込んで、もはや別の世界線で生きているようなキャラクター性から、物語の世界観の中で生きている突出したキャラクターというバランス感になったような気がして、独自性がありながらも物語へ没入できるような不思議な溶け込み方に切なくなってしまう。

元々光をよく反射する潤んだ瞳に、じわっ、とか、ぶわっ、という効果音が聞えてくるみたいに一瞬で涙が溜まったあと、ぽろぽろと粒がこぼれて落ちる安田さんの泣き方、演技のときもそうでないときもいつもそれだけで心臓を素手でつかんでくるような力があってすごく好きだ。稽古の様子も含めて、見るたびにとにかくよかった。涙は表現云々の前に身体の構造というか、どういう風に滲んで、どういう風に流れるのか、持って生まれたものの要素が強いと思うから、すごくキレイでいつ見ても感激してしまう。ダントツでいちばんすきなのは山田家ドラマ版の明日美との電車のシーン。カット切り替わる一瞬でぶわわっと涙がたまるとこ本当に最高にカワイイ。山田家は何をとっても本当に至高だ…今度またかこ

特典:稽古時期の安田さんもインタビュー期の安田さんも超絶髪型顔面かわいい期で最高。舞台の奇抜なビジュアルからドラマ用の小奇麗なビジュを挟むと、ああそうだこんなに顔がよかった、とバランスが取れてとてもよい。どんだけ一粒で何度もおいしい人なんだ。

COMPOSER

好きな題材なだけにとにかく内容がキビしいんだよねぇ。LOOSERよりぐっと落ち着いてスマートになってるんだけど、ifと史実が折り合う部分に感激できなくて個人的にはあんまり好きじゃない。でもそれを補ってジャラジャラお釣りがくるほどビジュアルとキャラクターが超大好き。登場人物それぞれに愛すべき華を感じる。ビジュ萌えであり関係性萌えのアイドルオタクにとって、最高に好きな顔が好みのビジュアルで立って愛憎の念を叫びあっていることは、それだけで億千万の価値があるのだ。

安田さんとおーいずみさんは同じ地平線の上に立つ対岸の人だと思っているから、物語でそういう関係性の役割を担うと至極当然のように対比と調和、表裏一体の妙を体現してくれて心が震える。このバランスがモーツァルトベートーヴェン、どちらの物語としてみても際立つのが気持ちいいなと思った。

父親の暴力に怯えるベートーヴェンが繰り返す弱々しい「ごめんなさい」はとにかく嗜虐心を煽られる。おーいずみさん自身の器用さが滲み出ているからこそ、根本的に報われていない、本質的に”持っている”わけではない人物を演じているととってもかわいそうでかわいい。

特典:エンビの育ちのよさを競い合う姿といい、捕獲ごっこといい、この人たちは本当にあまりにもカワイイの限界をしらない。安田さんのまっしろ時代は、顔がいいという才能が最大限に押し出されていて本当に天才的。役でもないとこんなビジュアルにはなってくれない人だから本当に最高。何をせずとも一挙手一投足すべてにいちいちはぁ、かわいい、顔がいい、と唸ってしまう。パンスト一枚で暴れていたって尋常じゃなくかわいい。おーいずみさんが泣き笑いと表現する安田さんのくしゃっとした笑い方は特にこのビジュアルにめちゃくちゃ合っていて最高にかわいい。ハナタレもどうでしょうも全国進出もあって記録媒体に残りやすい年で本当によかった。この歴史を生み出しただけでCOMPOSERさまさまさま、大好き。

そんな安田さんの顔面を爆笑しながらアップで撮影してくれるおーいずみさんもまた天才の境地にある。ゴ、万歳。