悪童

うう~~~んおもしろいよねぇ。ワンシチュエーションの中であまりにもすべてが伏線のための会話だから一回見るとものすごく疲れるし、本筋となんにも関係ないゆるい部分ももう少し欲しくなっちゃう、という感じはあったんだけど、とりあえず話というか、ひとつひとつのエピソードがやはり引きを持っていてうまいので見せられてしまう。そして音楽とマッピング類がいい。ソリッドで後ろ暗さがあって、退廃的なネオンの色彩も超大好き。

良い意味でナじゃなくても成り立つまとまったストーリーと展開、登場人物が本当に5人しかいないからこそ見ることができたであろう細かい役作りや演出が見やすいしおもしろいし、物語の中のキャラクターに、関係性にちゃんとときめいたな。5人という人数が同じなだけでは、中の人たちがものすごく透けて見えるわけではないってことを改めて認識できたことで、いつもの5人が、ナであることやナで積み上げたものを、意識的にも無意識的にもいかに重視してつくっていたのかということを逆説的に実感した。当て書きじゃないから当然ではあるけど、なんか全然違うんだよね?リンクしそうでしない、ちゃんと別の人なんだよね。だけど5人それぞれ、このキャラクターがいちばん合うというバランスが絶妙だったなぁ。登場人物5人の舞台に、5人が別々にキャスティングされましたみたいなそんな感じ。ひとりの役者×5だってことをものすごく見せ付けられた気がした。同じことをパーフェクトショウを見たときもすごい思ったんだよね。外の人に5人を使った舞台をかいてもらうってこういうことなんだなぁ。あくまでもとある人物を演じるひとりとして描かれる。これを本公演でやったことには大きな意味と意義を感じた。
というのも、

僕らの公演でいつも問題になるのが本作り。上がってきた脚本に、毎回かなりメスを入れてしまうんです。セリフも構成も結構ばっさり変える。僕は、それはちょっと違うなと思っていて。セリフの句読点は句読点だし、語尾は語尾。脚本を変えることは、個々のエゴが出るし、僕は役の幅を狭めるんじゃないかと思うんです。最初はちょっと違うなと思っても、何度も稽古を重ねるうちに、<ああ、こういう意味だったんだ>と言葉が自分のものになっていく。それが演じるうえでの楽しみでもある。そうやって舞台で光るのが役者じゃないかと僕自身は、思っているんです。

(『ダ・ヴィンチニュース』2015/05/15 - https://ddnavi.com/news/238610/a/

これ。私は舞台の上に立つ人はあくまでも偶像であり器だと思ってるから、この安田さんの一言一句すべてに絶大な賛同と信頼を置いてるんだよね。読んだときにものすごく腑に落ちたというか、本公演の衝突具合に対して思ってたことをぜんぶ言ってくれてる~~~って感激した。この方向性の考え方もナに存在するってことをハッキリ確信できたことにとても安堵したのだ。

そもそも私は入れ込んでいる対象の考えをあまり深く知りたくないというか、意志や思惑はどうでもよくて、完成して「これなら」と見せてくれたものに対して手放しに満足して、そのあと勝手に、私にはこう見えた!やっぱり最高だなぁ、みたいなことを延々想像してるのがいちばんテンションが上がるという偶像崇拝が行き過ぎたタイプのオタクなので、基本的に安田さんの発する言葉を全部追いかけてるわけじゃない。というかほとんど知らないに等しい。あと安田さんは良くも悪くも突然脳みそを直接殴ってくるような言動をするから意図的に知らないようにしているというのも大きい。思いもよらない場面で答えあわせが飛んできて、あ~~~~やっぱり天才と大喝采を贈りたいときもあれば、いやそこに関してはホント無理、ってときもある。そして私はそれでも大好きなのだからそれでいいと思ってる。でもこれに関してはすべて私の理想的な解釈なの。ずっとこれに近いことを言っていたと思うし、音尾さんも安田さんとかなり近いスタンスで役作りや芝居作りを捉えていて、同じダ・ヴィンチの特集内で同じく私の理想的な解釈をくれてるんだけど、前後の文脈も含めて、このときについにどこにも隙のない完璧な形で核をとらえられたように感じた。もやっとしたものが晴れて、清々しかったのだ。意識に関わる話は流動的なものだから今はまた変化しているのかもしれないけど、それは既に彼の根底にも蓄積されているのだから何も問題ない。偶像として好きな人に、抽象的な感覚をここまでキレイに言語化してもらえて、こんなに幸せなことはないと思った。

演出指示も同じで、あくまでも脚本に沿ってまず解釈として掘り下げて、それからアプローチを考えていくというような、すごく理想に近いことを最初から一貫していていちいち震えた。台詞ひとつをとって脚本を自分たちの元々の人間性や癖に寄せるんではなくて、限りなく本の中で生きる人物に近づいていくスタンス。とてつもなくしっくりくる方向性だったから、私はこの作品がすごく好きだな~。ただもちろん、同じ5人を器として物語に寄り添いながらクオリティを保つには、土台となる物語、脚本と演出の精度が重要だってことも事実なわけで。そのあたりのバランスを客観的に推し測るために、悪童は絶対必要なプロセスだったと強く思った。これを経ての2018年本公演に何を感じるのかを整理したくて、こうやって備忘録をつけている部分もあるし。う~ん。改めて、読むたびに昨日のことみたいに感動する。

「俺はほんとにキライ」「俺もお前は嫌いだ」

いや、ここでしょう…。もう、ここだよ。ここしかない。思わず謎の三段活用してしまうわ。は~すごい。いくらナじゃなくても成り立つ話といっても、ナだから出るというか、こちら側が勝手にナだからこそ、と感じ取ってしまうものもあるわけで。そしてそれを感じられることこそ本公演の幸せであって、随所にそういうものがあるから、やっぱり5人の舞台が見たいと思うんだよね。ゴも同じで、この二人だからこそ生み出せる空気が一瞬でもあればそれでもう最高だ、見たかったのはこれなんだ、と喜べてしまう。ただでさえ、外部脚本演出でもやっぱりキャラクターの表面的な性質と関係性を対照的に位置づけられ、かと思えばエア殺人みたいにやたら度が過ぎた悪乗りに二人だけが興じたり、成功と転落の振り幅が大きかったりと、根底の人間性が重なってしまうゴの配役の王道パターンが最高なのに、十分に堪能させてくれた上でダメ押しのようにこのやり取りよ…。エロッチと巻くんであり、おーいずみさんと安田さんだからこそ本来の物語以上に映える。さらにBD/DVDは他の3人のときとちがって、握手をされる側ではなく、しにいった巻くん側から抜いた画なのも、あぁやっぱ安田さんの表情に凝縮されてたよねそうだよね、みたいな…見たいものを見せてもらえた充足感がすごい。チャックとの「本当は好きだよ」からの流れといい、台詞を言う前も、言ってる間も、言った後も、絶妙な空気…ゴだよね~~~~~(昇天)。副音声がまた、それをあまりにも理解しすぎている天才二人の水面下の戦いを感じるすばらしい瞬間だった。この二人本当にわけがわからんし、出会ってしまったのが本当に、とんでもないことだったよ。あ~すごいわ。